プレーリーダーになった理由ーゆうき編ー
プレーリーダーになった理由ーともさん編ー
妊娠中に東京に引っ越して第一子を出産。育児は想像していたものとは全てが違い、楽しさよりもつらさや孤独感のほうが勝っていて、一生懸命やっているつもりなのに何一つうまくできていないような感覚。孤独で孤立した子育て=孤育てとは言いえて妙で、その重圧に押しつぶされそうな毎日。食事、トイトレ、着替え、睡眠・・・全部!当時の私は本当に何もできていなかったと思う。だから今、プレーパークでいろんな親子に出会って、いろんな困りごとを聞くけど、「私もうまくなんてできてなかったよ~安心して~!」と言いたい。
私は長男が1歳のときにたまたま出かけた近所の公園で『プレーパーク』と出会った。
プレーリーダーと呼ばれているスタッフのような人や大人たちが、側に居る子どもたちと楽しそうに遊んでいる。子どもが遊ぶ様子をのんびり眺めながら、遊び道具の準備をしていたり、受付の対応をしていたりする人たちもいる。それぞれが思い思いに過ごしている、ゆるやかな時間が流れていた。
長男が吸い込まれるようにしてその輪に歩いていくと「こんにちは。」「こっちおいで~!」「いっしょに遊ぼうか?」と誰かに声をかけられた。
それは、東京に住んで子どもを産んでから初めて歓迎された!と感じた瞬間で、ずっと抱いていた社会から歓迎されていないような感覚が一瞬にして消えていったのを覚えている。いつの間にか自分で閉めていた…重厚で冷たいだけの孤育てのドアがギシギシと音を立てて開いていった。
プレーパークに通い始めて数回目のときに、長男が誰かに貸してもらったスコップを1歳の子が欲しがって泣いてしまったことがある。慌てて長男に譲るように話していた私に、側に居たお母さんが「〇〇くん(長男)が貸せないのは当たり前だと思うよ。だって長い時間待ってやっと手に入ったスコップでしょ?」と話すと、泣いていた1歳の子に「ねぇ、今はこの子が使ってるんだよ?」と優しく伝えて、別のスコップを持ってきて手渡してくれた。
長男のことを思って考えてくれる人が私や家族以外にいるとは想像したことがなく、驚きとうれしさが入り混じり、私の思い込みをさらりとスルーしたその人には今も感謝しかない。
プレーパークに頻繁に通っているうち、いつのまにか私も、その場に居合わせた子どもたちと遊べるようになっていた。そしていろんな子と遊んでいると、自然と大人たちとも親しくなっていく。遊ぶってコミュニケーションだと思う。
思えば、私の幼児期は、隣人のおばちゃんがよく遊びに連れ出してくれたし、家庭に背を向けがちの10代の時期には、子どもが帰るまで閉店にならないおもちゃの問屋さんに入り浸っていた。長男が小学校高学年になったときには、親と話すよりプレーパークへ行って遊んだり、家族以外の大人にいろんな話を聞いてもらいスッキリした顔つきで帰ってくる時期もあった。
子どもは、側に居る大人の振る舞いをよくみている。誰かのやさしさや、人とのコミュニケーションの仕方なども見て、選んで、真似ていく。プレーパークで働いて、たくさんの子どもと大人に出会ううちに、大人はみんな子どものロールモデルになっていると思うようになった。だとしたら私は、ちょっと愉快なおばちゃんのひとりとして、子どもたちの側にいてもいいのかなと思う。
『えごたの森プレーパーク』はオープンして2か月が経つけれど、まだまだ作り途上で、「これどうしよう?困った~!」と考えることが終わらない(笑)。また人の数だけ思いもあって、みんなであーだこーだと言い合うなかで、いろんな「こうしたい」「これやろう」が増えていくのがおもしろい。
遊びに来たみんな、大人にも子どもにも居心地よく遊ぶ!こと、そして、ゆるーくつながっていくことを大切にしていきたい。「じゃぁこうしよう!この方がおもしろいよ!」と言い合える関係が、大人にも子どもにも起きるように、いろんな人を巻き込みながらやっていきたい。
社会の構造や子どもの成育環境は、スイッチをピッとつけたり消したりするみたいに一瞬では変わらないけれど、目指す社会になるために、例え1mmでも自分の手で動かしていこうと思う。
プロフィール紹介
NPO法人PLAYTANKでプレーリーダーとして勤務をスタートしたのは、長男が幼稚園に入園した頃。、その後第2子の出産等での生活スタイルの変化に合わせて、室内の子育てひろば事業、外遊び型子育てのひろば事業、親子森のようちえん事業のスタッフとして働いてきた。

